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ヨーロッパ史① 古代ローマ帝国

歴史認識
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目次

 はじめに

日本史や中国史に比べてヨーロッパ史が分かりずらいのは、複数の民族と宗教、領土が大きく変遷していくところかなと思う。

逆にいうと日本史と中国史は基本的には同じような領土の中で単一民族による、王朝、統治者の変遷。
だから、分かりやすい。そこはそうかなと思う。

それに比べるとヨーロッパ史は確かに複雑。
ただ、だから理解できると面白いってはあると思う。

ここでは、ざっくりヨーロッパ史の流れを見ていこうと思う。

出来事や人物の詳しい解説は基本なし。

必要最低限、これは流れを知る上で必要な部分は詳しくやる。

そんな感じで進めていこうかと(*^▽^*)

そこで最初の悩み・・・

いつの時代から始めるのがよいか?

下図が世界史のエリア別の年表

ヨーロッパは複雑そうでしょ( ;∀;)

ヨーロッパの歴史を語る上で、ここは外せないって思うのはやはり

ローマ帝国

勿論これ以前の歴史も重要やし、面白い。

でもそれは別の機会にして、ローマ帝国になる前のローマから始めようと。

現在のヨーロッパの地図

ソース画像を表示

 ①ローマ建国の歴史

イタリア半島やギリシャがあるバルカン半島周辺では紀元前800年~400年くらいで都市国家(ポリス)っていわれる国みたいな都市が数百できる。

ギリシャではアテネやスパルタが有名。

都市国家ローマも現在のイタリアの首都ローマがある場所で生まれた都市国家の1つ。

ローマの建国の神話はオオカミに育てられたロムルスとレムスの双子の兄弟のうち、ロムルスによって建国されたって話がある。

ローマの名前の由来はロムルスからきてるとかきてないとか・・・

ローマの建国時は王政・・・王様が支配する制度。

紀元前500年頃には王様を追放して共和制になる。

共和制ってのは王様がいない国の制度。選ばれた民間人が政治を行う制度。

紀元前に共和制ってあったんやって感じでしょ。

この頃から権力の集中や世襲はダメって人は気付いてたんやね(#^.^#)

分かっていながら共和制は続かない・・・

ローマもローマ帝国となる時点で帝政へと移行していく。

帝政と王政の違いは諸説あるけど、ここでは大国がする王政が帝政で都市国家みたいな小さい国でも王様がいれば王政って感じで覚えておけばよい。

都市国家の1つだったローマが大国へと推移していくのは、他の都市国家を吸収していくから。

都市国家同士の争いは頻繁にあったけど、戦争で勝った国を吸収していったのはローマだけやった。

ローマは共和制の中でイタリア半島を統一して、更にギリシャがあるバルカン半島、今のスペインやポルトガルがあるイベリア半島を征服し拡大してく。

ローマは王政で失敗して、1人に権力を握らせることを非常に嫌悪してた。

王政大嫌い(。-`ω-)

それが領土が拡大していくにつれて、大嫌いだった1人に権力集中させる帝政に移行する。

このプロセスはヨーロッパ史を語る上で、重要と判断して少しだけ説明(^O^)

 共和制から帝政へ

ここでローマの共和制について解説しないと、のちにフランス革命で民主制を獲得した時に混乱する可能性があるのでね。

まずはローマの共和制を教科書で習うと「元老院」なるものが出てくる。

この元老院が最高権力と思っていてよし。

元老院ってのはざっくり政府への諮問機関ってことでよし。

元老院の中から2名の執政官(コンスル)を選んで政治をさせてるけど、執政官の任期は1年。で300名からなる元老院の任期は終身・・・

執政官が政治を行うし一時的には最高権力っぽくなるけど、任期1年ではね(+_+)

任期終身の元老院に権力が行くのは必然で、元老院は基本貴族からの選出。

貴族・・・これが存在する。

王様はいないけど、貴族と平民がいる共和制がローマの共和制。

ほんとに簡単にいうと平民と貴族の対立、平民の元老院への不満が高まって内乱状態になったローマを独裁官として平定したのが、ユリウス・カエサル(英語でジュリアス・シーザー)

ローマ帝政の走りはカエサル。

この名前は有名でしょ。

何をした人か知らない場合は帝政ローマを作った人でいいかと。

で、帝政移行への原因は「王様いなくても貴族が利権を独占したら一緒やん」から・・・

現在では共和国が大半やけど、古代ローマの共和制は「世襲の王様がいないだけで、王様の利権が約300名の元老院に分散されただけ」って感じても仕方ない。

元老院が自分達に都合のよい人達を選ぶ(執政官)くらいなら、優秀な王様に政治をしてもらいたいとの平民が思うようになった時に、武力と人脈で独裁官になったのがカエサル。

ただカエサルは独裁官として様々な改革を実施し、実質的な皇帝のような立場だったけど、正式に皇帝の称号をもらう前に、ブルートゥス等によって暗殺される。

信頼していた部下の裏切り、「ブルートゥスお前もか」は有名な言葉。

カエサル暗殺は紀元前44年。

間もなくパレスチナの地でイエス・キリストが誕生する。

カエサルの死後、後を継いだ養子のオクタヴィアヌスが初代皇帝となって約200年間、ローマは安定した治世を迎える。【パックス・ロマーナ(ローマの平和)】

ローマ帝国の最大領土が下図

このパックス・ロマーナの時代に現在のヨーロッパの主要都市であるロンドン、パリ、ウィーン等が建設されていく

現在のヨーロッパの基礎の基礎がこの時に出来上がってきている。

 東西へ分裂

歴史の必然やけどね。

繁栄は永遠ではない・・・

ローマ帝国も徐々に衰退していく。

原因は色々あるやろけど、1つ挙げるならローマ帝国の繁栄と共に支配してた属州も繁栄して、力を持ち過ぎて、勝手に皇帝や王を名乗り始めたってことかな。

そうなるとやっぱり反乱が起きて、そこにお金や人を使わなければいけなくなった。

この流れの中で大事なとこ!(^^)!

284年即位のディオクレティアヌス帝。

この人は色々頑張ったけど、キリスト教徒を迫害したの。

30年頃にイエスが死んでから、弟子たちによってヨーロッパ各地で布教されていったのね。

イエスはローマ帝国によって殺されてるから、このエリアで広めたろって弟子たちの意地もあったかもね。

このディオクレティアヌス帝の迫害が303年。

その10年後の313年、次のコンスタンティヌス帝の時にはキリスト教を帝国の支配に利用しようとして、キリスト教を公認。(ニケーア勅令)

このコンスタンティヌス帝の改革で後世に一番影響を与えたのが、このキリスト教の公認ともう1つ、コンスタンティノープルへの遷都。これが330年。

政治・経済の中心が東へ移行していく切っ掛け・・・

コンスタンティノープルは現在のトルコ共和国にあるイスタンブール。

ローマ帝国分裂後の東ローマ帝国の首都となり、1453年にオスマン帝国に滅ぼされるまで、1000年以上も難攻不落の城塞都市、東西交易の要衝、現在ではヨーロッパとアジアの境となる都市。

さてキリスト教は公認から約80年後、ローマ帝国の国教になる

これはどういうことか?

国教とは国のオフィシャルな宗教。その上に他の宗教禁止までなる。

現在のヨーロッパというか世界でのキリスト教の繁栄はまさにここ。

西暦400年くらいまでで現在のヨーロッパが少しずつ出来上がってきております。

そしてキリスト教を国教にした皇帝テオドシウスの死後の395年、ローマ帝国は東西に分裂。

テオドシウス帝の長男が東、次男が西のそれぞれの皇帝になる。

この頃には有名な「ゲルマン民族の大移動」は始まっており、既にローマ帝国内に入ってきていた。

分裂から約80年で西ローマ帝国はゲルマン人により滅亡させられる。

ここまでを古代ローマ帝国として、今後のヨーロッパはゲルマン人の国であるフランク王国と東ローマ帝国の別名ビザンツ帝国の2国をメインに紡がれていく。

続きは次回ね

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