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ヨーロッパ史⑦ フランス革命

歴史認識
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目次

フランス革命とは何ぞや? 

フランス革命は今の世界秩序の基本を作ったって思ってるので、少し詳しくやろかなと。

ヨーロッパは絶対王政の中、大航海時代に産業革命が重なり、アメリカやアジアに進出していた頃。
1789年にフランスで起こった絶対王政を倒した市民革命!!!

スーパー簡単に言うとこんな感じ(;´∀`)

日本は江戸時代末期、徳川11代将軍 家斉(いえなり)の時代。
11代将軍はマニアック過ぎて知らん人多いかと・・・
64年後の1853年にペリーが浦賀に来るって時代感でどうでしょ・・・

1775年、フランス革命の14年前にイギリスからのアメリカ独立戦争。
1783年、アメリカ合衆国憲法の制定。
ざっくり言うとアメリカって国ができた直後くらいに起こった革命!!

 背景

背景は悩んだけど、フランス革命の解説には少し必要かと。

フランスにはアンシャンレジーム(旧制度)って言われるものがあって、第一身分(聖職者)、第二身分(貴族)、第三身分(市民と農民)に分かれてた。
ちなみに第三身分の割合はフランス全人口の98%って言われてる。

第一身分と第二身分は免税特権あり、第三身分は収入の9割の税率・・・
100万円稼いで手元に残るのは10万円という・・・
現在ならいずれ崩壊するのが当たり前の税率(-_-メ)

絶対王政で王権が強力な時はこれが通用してたってのも凄い。

第三身分の不満爆発による反乱なんやけど、これだけなら今までの歴史でもよくあった。
ここに啓蒙思想が加わる。

有名な啓蒙思想家はモンテスキュー(三権分立論)、ルソー(社会契約論)等がいる。

啓蒙思想とは・・・超簡単に「無知から学んで知識を得ること」
第三身分が人間、社会、宗教等を学習して、「自分たちはこうありたい」と思うようになった。

今までは市民や農民には知識がないから意思が生まれない。
生まれ落ちた環境で惰性で生きることが普通。
今の当たり前がある程度形成されていったのがこの時代の啓蒙思想って考え方。

革命の引き金は「財政問題」

大航海時代の対外戦争に加えて先にも書いた「アメリカ独立戦争」への参戦。
これで財政が破綻寸前に・・・

行き詰った国王ルイ16世は第一、第二身分に課税を要請!!!普通やけど・・・

で、もちろん第一、第二身分は課税に反対するわな!!

第三身分は国民議会を開催して、特権廃止の憲法が改正されるまで議会を解散しないという誓い(球戯場の誓い)を行う。

ルイ16世は武力で国民議会を解散させようと軍隊を集めて、特権階級への課税を進めていた財政改革担当者ネッケルを罷免したことで、首都パリの市民の間で不満が爆発。

フランス革命の発端のなるバスティーユ牢獄襲撃が起こった。
これがフランス革命の始まりとされる1789年の出来事(#^.^#)

絶対王政→立憲君主制へ   

バスティーユ牢獄ってのは元は要塞で途中から政治犯を収容する為の牢獄になる。

じゃあ何故そこを民衆は襲ったか???ここ少し詳しくいくね)^o^(

まずは税率90%をかけられていた民衆の心理。
食べるものもなく餓死寸前。
でも第一、第二身分と王族は贅沢三昧。

これに前に少し書いた啓蒙思想が加わる。
「人は法の前に平等」、「正義とは何か」を理解した民衆はイデオロギーを持つ。

追い込まれイデオロギーを持つ民衆に、更に王様は鎮圧のための軍隊を集めていると知る。

いずれ餓死するか軍隊に殺されると判断した民衆は「殺されるくらいなら、こっちから動く」って発想になる。

民衆は能動的に動く決心をして武器を取るが、火薬がない。

その火薬の倉庫こそがバスティーユ牢獄(^o^)/

バスティーユ牢獄は上図のような感じで高さ30メートルの城壁と幅25メートルの堀で囲まれてる。

現時点で火薬がない民衆がこんなとこ落とせるの??って感じでしょ。

それを落とすのよ。

落としたプロセスは省くけど、王族、貴族もビックリ仰天で焦りまくり!!!

これを知った全国の民衆が一斉に立ち上がり、全国で暴徒化して特権階級を襲い始めて革命が始まる。

バスティーユ牢獄襲撃が7月4日、その翌月の8月には2つの革新的な宣言が出される。

2つの宣言について簡単に解説。

「封建的特権の廃止」
  聖職者(第一身分)や貴族(第二身分)が自発的に自分達の「権利の放棄」を誓う。

「フランス人権宣言」
  国民の自由と平等、圧制への抵抗権、国民主権、法の支配、権力分立、私有財産の不可侵等を規
  定。 アメリカ独立宣言、啓蒙思想家などの影響を受けている。 

で、この2つの宣言を国王ルイ16世を最初は承認しなかった・・・まぁそりゃそうかな(。-`ω-)
まあ色々あって最終的には承認するしかなくなるけど・・・

その後は、ルイ16世が王妃マリーアントワネットと共に国外逃亡を図るけど、見つかって連れ戻されるとか、革命組織の中でも立憲君主制(王様ありで議会で決議)押しと共和派(王様いらない)押しで分かれて対立等ありながら、

国民議会は「立憲君主制」のもとで制限選挙で政治家を決める制度と前述の球戯場の誓いで立てた「憲法改正までは議会を解散しない」誓い通り、フランス最初の憲法である「1791年憲法」を制定し、国民議会は役割を終えることになる。

上記の通り「立憲君主制」押しが優勢な中で、王様が国外逃亡しようとした国民のがっかり感はどれほどでしょう・・・

立憲君主制→共和制へ 

この頃、他のヨーロッパの国はどういう思いでフランスを見ていたか?

違う国の事やで知らん・・・ではないよね(#^.^#)

多くの国が絶対王政の中で仕切ってるのに大国であるフランスで「王様いらない」運動が大きくなったら、こっちまでとばっちり来るかもって思い始めたとこくらい。

そこで1791年憲法がでる少し前にオーストリアとプロイセンがピルニッツ宣言ってのを出して、堂々と「フランス革命に外国として干渉していくよ。フランスでの王政の復興はヨーロッパの全ての君主の共同利益だよ」って宣言する。

ちなみにこの頃のオーストリア皇帝レオポルト2世はマリーアントワネットの兄貴ね。

で、1792年にオーストリアとフランス革命戦争が開戦。泥沼になって1814年まで続く・・・

戦争を積極的に推進したのは野党である共和制派。

国王は戦争に賛成。

王様いる派ではなく王様いらない派を支持・・・意味不明でしょ!!!

理由は簡単、とにかく今の政府を潰して王政を復活させたいのが狙い。

それを外国勢力に頼ったって感じ・・・もうあかんよね!!!

戦争になれば少なからず国民は死ぬ。それより自分の権力が大事!!!

啓蒙思想を学んでたこの頃のフランス国民はそれをお見通し<(`^´)>

立憲君主制を倒して王政も廃止。

第一共和制が開始される。

オーストリアとの開戦からここまで1792年の出来事。

翌1793年にルイ16世と王妃マリーアントワネットは処刑される。

この処刑の理由がヨーロッパ中の王様に影響を与えるの( ̄▽ ̄)

最終的な処刑の理由は国外逃亡を図ったとか、王様にふさわしくないとかじゃない・・・

「王様であるだけで処刑、いらない」って理由!!!

少しだけオーストリアとの戦争はどうなってるか?
  ↓
プロイセンがピルニッツ宣言の同士としてオーストリア支持。2国の連合軍との戦争になる。
最初はボロ負け・・・できたばかりの政府が指揮してるからね。

その時議会は「祖国の危機」として各地の義勇兵に訴える。
この時パリに集結したマルセイユ部隊が歌ったラ・マルセイエーズはフランス国歌として今も残る。

興味がある方はラ・マルセイエーズの歌詞を調べてね。

これ国歌ってくらい血なまぐさい内容っす。

でもフランスにとっては自分たちの基礎を築いた大切なものなんやろな~と。

で、最初フランスは負けまくりでパリまで占領されるけど、この義勇兵らの活躍で盛り返して、一進一退の攻防を続ける。

大きく戦局が動いたのは国王ルイ16世の処刑(-_-メ)、そして上記処刑の理由。

これにより王制があるイギリス、オランダ、スペインもフランスとの断交に踏み切る。

この対フランスの為に結成されたのが「第一回対仏大同盟」

これにより再びフランスは危機的状況となる(≧◇≦)

ここからフランスの内政へ話を戻すね。

1793年国王ルイ16世処刑の年の6月に急進的な共和制を目指すジャコバン派が権力を握る

その中心人物であるロベスピエールは自分達と思想が違う人達(王党派、立憲君主派、穏健な共和派等)を次々と処刑。恐怖政治と呼ばれる。

ロベスピエールは恐怖政治だけでなく今後の国民が暮らしやすくなるような法整備なども多数行ったけど、過激過ぎ、急ぎ過ぎの為、徐々に国民の支持を失って穏健な共和派のテルミドール派によって逮捕され処刑される。

短期間の間で優秀な人材が多数処刑されていく中でも、前述の対仏大同盟は続いていてヨーロッパ中の国がいつフランスに攻めてきてもおかしくない状況なんさな( ̄▽ ̄)

そこで登場するのが有名なナポレオン・ボナパルト(^o^)/

次回、フランス革命の意義とナポレオンね。


 



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