前回にこれは知ってほしいということで、「宝暦治水事件」を書いたけど、「エルトゥールル号遭難事件」も是非とも知ってほしい出来事。
これは自分の中ではマイナーな出来事ではなくて、大半の人が知ってるだろうと思ってたら・・・
5人に聞いたら5人全滅・・・
マジか・・・と思い書こうと。
この一連の出来事は「人間不信」に陥っている現代人にこそ伝えたい。
人間って捨てたもんじゃないぜって(^o^)丿
以前の「中東 争い過ぎ・・・」の時に
「人は宗教、民族、資源で殺しあえる」って言うたし、紛れもない事実やけど、
宗教、民族、利害を超えて助け合えるのも人
ってことで!!!
目次
エルトゥールル号遭難事件
まずエルトゥールル号って何?ってとこから。
船です。こんな↓
名前からして日本の船ではないね。どこの船?
オスマン帝国!!!
それどこ?
この後解説するね!(^^)!
現段階では「エルトゥールル号遭難事件とは・・・」
オスマン帝国っていうよくわからん国の船が遭難した事件ってことでよし。
いつ頃か?1890年!!!
日本は1867年の大政奉還から近代化への道を歩み始め、1894年には日清戦争で勝利するまでになってきたくらいの時代。
オスマン帝国
こんな帝国も国も今はないよね。
この帝国は現在の「トルコ共和国」
学生の時は授業ではオスマン帝国ではなく「オスマントルコ」と習った。
下図の色付きがオスマン帝国の最盛期!!!赤丸が現在のトルコくらい!!
Wikipedia参照
さすが「帝国」ってくらいの領土でしょ。
アフリカ大陸の北側からヨーロッパの東、中東の一部を治めてる。
第一次世界大戦での敗北を機に滅亡へ向かうけど、それはまたいつかどこかで(-ω-)/
この国の歴史はめちゃ面白いからね!!!
覚えなくてもよいけど、何故オスマン帝国の船が日本に来たかを簡単に解説するね。
エルトゥールル号は何故日本に
オスマン帝国は全盛期は凄い権勢と領土を持った大帝国やったけど、19世紀後半には衰えまくりで「瀕死の病人」とまで言われるようになる。
瀕死の病人となり国力が弱まれば、当時アジア圏への進出に力を注いで、国力充実のヨーロッパ諸国との外交は不平等条約になってしまう・・・
まぁ特に当時の最強国であるイギリスとがメインなんやけど、これは日本も同じやったんさ。
不平等条約の中身については割愛するね。
オスマン帝国と日本は「不平等条約の仲間」って繋がり(+_+)
で、オスマン帝国が日本に「欧米諸国は怖いので仲良くしよう」と持ち掛けて、日本はこれに応えるべく皇族が当時のオスマン帝国の首都コンスタンティノープル訪問。
エルトゥールル号の訪日はそのお礼とされている。
これは私見やけど、それだけの目的ならわざわざ行かんかなって思てる。
オスマン帝国はイスラム教の盟主やったし、「瀕死の病人」の評判を覆すべく、アジアのイスラム教国家に航海術と威厳を見せたかったかな・・・と。
と、そんな訳で首都コンスタンティノープル出航以来、途中10港に立ち寄ったエルトゥールル号は横浜港に入港。オスマン皇帝の親書を明治天皇に奉呈する。
この事件はその帰り道・・・
帰り道に遭難
遭難場所は現在の和歌山県の串本町の沖にある紀伊大島の樫野埼の海上。
原因は台風によりあおられたことにより下図、座礁に衝突。
22時半ごろ、エルトゥールル号は沈没。
乗組員600名以上が海に投げ出されることとなる。
何人かは岸にたどり着き、↑の断崖を登り灯台に辿り着く。
当時の大島村の村民たちの大半は「初めての異国人、初めての外国語」だっただろうに。
街灯などない暗闇と大型船を煽る程の台風、言葉も通じない中で村民たちは総出で救助と介抱をする。
島暮らしの人達が、そこまで裕福なはずはない上に台風で買い出しや出漁にも行けない中で、出し惜しみすることなく食料や衣服を与える。
その結果69名が助かり、残念ながら587名は死亡または行方不明となる。
勿論、死者行方不明数だけ見れば大惨事!!
でも明治時代の夜の台風の海で船が沈没したら、普通は全員死亡と思う。
しかも見たことない外国人。
少し前まで「攘夷(外敵を追い払って国内に入れないこと)」って目の敵にしてた対象やし。
69名助けられたことは大島村の村民が起こした奇跡って言おうとして思い留まった・・・
多分大島村の村民からしたら人として当たり前のことした結果なんやろな~(^.^)/~~~
困ってる人がいたら助ける。
そこには民族も言葉も宗教も利害も関係ない!!!!
そういう事なんやろな。
それから生存者69名は翌年に無事にコンスタンティノープルに帰還できた。
ここからまたええ話。
遭難事件から間もなく、オスマン政府は「救助にかかった食糧費や医療費を支払いたい」と日本政府経由で大島村へ伝達。
これ普通やと思う。経費は返さねばね。オスマン普通。。
この伝達を受けた村長の言葉が治療にあたった医者のカルテから見つかる。
「ただ助けたいとの一念でやったことだから経費の支払いはいらない。そのお金は遭難者の義援金へあててほしい」
カッコ良すぎ(^o^)/ 痺れますわ。。。
95年後
エルトゥールル号遭難事件から95年後の1985年。
中東ではイラン・イラク戦争の真っ最中。
オスマン帝国は第一次世界大戦敗北後、滅亡してトルコ共和国ってなってる。
日本は高度成長を遂げて経済大国となったくらいの時。
イラン・イラク戦争の中、イラクのフセイン大統領は「今から48時間以内にイラン上空の航空機は無差別に攻撃開始する」と、とんでもない宣言をしたんさ。
大半の国は期限までにイラン在住の国民を軍用機か旅客機で救出。
当たり前やろ~自国民やもんね。
日本は、「自衛隊は法律上、在外邦人救助できない」、「民間の当時唯一の国際線を運航してた日本航空は安全が保障されない限り臨時便は出さない」との縛り・・・
イラン在住の日本人215名は絶対絶命の危機(≧◇≦)
日本航空は仕方ないにしても、自衛隊は動かせよ・・・日本政府。
特例でも何でも使わなあかんでしょ。自国民を守る以上の使命あんの?
イランでの日本人のピンチを聞いた日本駐在のトルコ大使の言葉!!!
「救出はトルコが引き受けます。エルトゥールル号の恩返しです」
痺れる言葉2回目(*^▽^*)
トルコ航空は旅客機の2便を日本人用に用意。
ここからポイント。凄いとこ。
日本人215名は無事にイランを出て、日本に到着できた。
けどトルコ人500名近くはトルコ政府が日本人を優先させて為に飛行機に乗れなかった。
勿論、トルコとイラクは陸続きだから、陸路での脱出はできたけどね。
95年前の大島村と同じで、トルコには自分達に余裕があった訳じゃない。
飛行機2機は余ってた訳じゃない。
自国民にリスクを取らせても、恩には恩で報いたかった。
そう感じる。
トルコはトルコ民族でイスラム教の国やけど、そんなことは関係ないやな。
冒頭に言うた
宗教、民族、利害を超えて助け合えるのも人
で締めて、終わろかな。
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