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ヨーロッパ史③ フランク王国分裂後 870年~

歴史認識
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目次

 前回までのおさらい

ヨーロッパ史①と②で出した国名はメインで2つ。

ローマとフランク(*^▽^*)

800年くらいまではこの2国とキリスト教の分裂や統一で、おおよその流れは把握できるかと。

民族もローマのラテン人、フランクとその周辺のゲルマン民族系を数種類。

ヨーロッパ史はこの辺から、フランク王国の分裂前くらいからかなり複雑になっていく。

下図は870年のヨーロッパエリアの国々。

西フランク、東フランク、イタリアと東ローマ帝国は前回に説明したけど、その他に今でもある名称の国がチラホラ。。。

北の方にあるノルウェー、デンマーク、スウェーデンはゲルマン民族系ノルマン人が建国。
それぞれノール人、デーン人、スウェード人と言われる。

ブリテン島(今のイギリス)ではゲルマン民族系アングロ・サクソン人が先住民であるケルト人を追い出して7つの小王国を建てる。これが7世紀。

9世紀にイングランド王国に統一される。

ちなみにアングロ・サクソンとは「アングリア(アングル族)のサクソン(国)」という意味であり、「アングル人の土地」を英語では「イングランド」。

「アングル人の言葉」はEnglishすなわち英語。

英語はここから(^o^)/。

当時のアングロ・サクソン人が天国で見てたら、母国語(英語)の広がりにビビってるね。

次に東フランクの右隣のあるモラヴィア王国。

これはスラブ系民族チェック人の国。のちの「チェコ」ね

その下のブルガリアもスラブ人の国。ブルガール人と言われる。

これくらいにしとかんと嫌になるね・・・

まあ、800年後半から今のヨーロッパにある国もぽつぽつ出てきてる。
そしてフランス、ドイツ、イタリアはフランク王国の3分割が基本。

現時点ではこんな感じで覚えておけばOKかな!(^^)!

 神聖ローマ帝国

凄い名前の国。

この国は元は東フランク王国・・・

この国のオットー1世が色々頑張って、領土を広げてローマ教皇よりローマ帝国の皇帝の冠をもらう。

これが962年の「オットーの戴冠」

フランク王国の時にやったカールの戴冠と同じで、西ローマ皇帝であることを、ローマ・カトリックのトップが認めた為、以後東フランクを「神聖ローマ帝国」と呼ぶようになる。

現在のドイツとオーストリアって思ってよいかと。

名前は立派やけど・・・

ローマないし、帝国ってほどの領土でもないし・・・

そして皇帝にさほど権力がない・・・致命的( ;∀;)

この当時の皇帝のへなちょこさとローマ教皇の権勢を現した事件が

「カノッサの屈辱」  有名でしょ!!! 1077年ね。

歴史の流れ重視の中では、説明不要やけど、簡単に。

キリスト教の役職(聖職者)の任命はローマ教皇にあったのに、神聖ローマ皇帝が自国の分は自分で任命するって言ったもんやから、ローマ教皇に破門される。

破門てのは「キリスト教徒」と認めないってこと・・・

前にも言うたけどヨーロッパ中がキリスト教徒、神聖ローマ帝国の諸侯たちは結構な権力がありな状態やったもんだから、キリスト教徒ではない皇帝に従えないってなる・・・(-_-メ)

困った神聖ローマ皇帝はローマ教皇が滞在しているカノッサ城で謝罪の為の面会を求めて、雪の中素足で3日間立ち尽くして許しを請うたという事件。

ローマ教皇と神聖ローマ皇帝の上下関係、それによるローマ教皇の権力の強大化を見せつけた事件。

ざっくりこんな感じ。

知らなくても流れは分かる。

11~13世紀は教皇の権力は神聖ローマ皇帝よりも上やったくらいでよし。

 十字軍

ヨーロッパの流れの中で、十字軍の解説は少し必要と判断。

簡単に言うと教皇や皇帝、国王が主導でヨーロッパ中の国々を巻き込んだ、キリスト教世界の拡張運動。って感じかな。

ターゲットはイスラム世界。
第一回十字軍遠征はキリスト教徒の聖地でもあるエルサレムを取り戻すためのもの。

11世紀末~13世紀末の約200年間で第7回遠征。

十字軍の名前の由来は兵士がキリスト教のシンボルである十字架を身に着けて、「聖戦」としてイスラム教徒と戦ったことからきてる。

ざっくり言うと、十字軍は基本的には失敗して、主に主導していたローマ教皇の権威の失墜につながる。逆にいうと皇帝や国王の権威は強まる。ここは大事。

十字軍の遠征での影響で重要なことは・・・

・ヨーロッパにイスラム文化が入ってきた。
 のちのルネッサンスにも影響を与えてると言われる。

・イスラム世界との交易による経済の活性化。
 特に地中海での東方貿易。イタリア商人が活躍。

・キリスト教とイスラム教の修復不能な仲違い
 これの原因は諸説あるけど、十字軍遠征はデカいと思う(#^.^#) 
 イスラム教徒にしてみればキリスト教連合軍が征服戦争を突然吹っ掛けてきたとしか思わないでしょ。十字軍の兵隊はさんざん略奪もしてるしね・・・
 この仲違いは現在でも色んな影響を世界に与えてるでしょ。

 第1回十字軍の1096年のヨーロッパ領土

まず最初の方にある870年の地図をもう一度↓

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で、上の地図から約200年後の1096年の地図が↓

主要国を解説ね。

・イングランドが出てきたね。
 アングロ・サクソンの7王国を統一して973年にイングランド王国成立。
 ただイングランドの歴史は複雑・・・
 1016年にはデーン人に征服されるし、1066年にはノルマン人に征服される。
 だから民族的には先住のケルト人、ローマ帝国時代のラテン人アングロ・サクソン人、デーン人、ノルマン人が混ざり合う。

・スコットランド
 イングランドは先住民のケルト人を追い出したけど、スコットランドは共存して独自文化を形成ね。
 昔見た映画ブレイブハート。↓
 スコットランドとイングランドの争い。アカデミー賞5部門受賞。
 面白いよ!(^^)!


・神聖ローマ帝国
 前述の通り、東フランク王国がオットーの戴冠で成立。962年

・フランス王国
 神聖ローマ帝国成立から25年後の987年。西フランク王国でカペー朝ができて成立。

・イタリアがない
 ここでは小王国が争ってて、国ができてない。

・キエフ大公国
 一応、ロシアの元となる国と考えてよし。882年建国。
 ノルマン人の国やけど、徐々にスラブ人と同化してく。
 キエフは今のウクライナの首都ね!!!
 10世紀末に国王が東ローマ皇帝の妹を嫁にもらい、ギリシャ正教に改宗。

・ポーランドとハンガリー
 簡単に解説ね。ポーランドはスラブ人、ハンガリーはマジャール人の国。
 それぞれが、カトリックに改宗することで、ローマ教皇から国と認められての建国となる。

11世紀までのヨーロッパ史概要は大体こんな感じ。

日本では平安時代。

今回はここまで。

次回はイベリア半島でポルトガルとスペインが建国。

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