前回の続きね。
政(せい)って「秦」の王さまが中国を統一。これが紀元前221年。
日本では弥生時代中期かな。
そして自らを始皇帝(しこうてい)と名乗る。
始皇帝がやったことって、凄いことたくさんあるんさな~いいことも悪いことも・・・
少し紹介しよかな
・まず「皇帝」って称号。中国は古代より「皇」と「帝」は別だった。
少し違うけど分かりやすく言うと現代でいうなら「大統領」と「首相」の合体系。
今までの王さまより偉いよ。って国民に知らしめたんさ。
これは中国最後の王朝「清」滅亡まで、すなわち20世紀まで受け継がれる。すごっ!!
・「中央集権体制」
王都である咸陽(かんよう)から地方を郡県にわけて官僚を派遣して統治する体制。
これも国が地方を管理する為、多くの王朝がマネというか制度的影響を与えた凄い制度。
・度量衡(長さ、容積、重さの単位)、文字、貨幣、車軌(馬車の幅)の統一。
色々と難しい漢字が並んだけど、簡単に言うと
「今まで秦が統一する前の7か国でそれぞれが使っていたものを1つにまとめましょうよ」
ってことね。
分かりやすく例えるなら、長さの単位は「メートル」ね。「インチ」や「ヤード」は廃止ね。
お金は「円」ね。「ドル」や「ポンド」はやめね。
って感じ。
・万里の長城の整備。
前の周って国の衰退の原因が異民族の侵入って前回書いたけど、万里の長城はまさにその対策。
国境に長~い城壁を作って、警備員を配置して「知らん奴は来るな」って計画。
ここまでは偉大な王さまやね。
広大な中国を統一して、治める為に必要なことを的確に実施した。やる奴ですな。
日本は弥生時代っすよ。村長くらいはいたのかな!?
貨幣なんかない「物々交換」の時代。「魚やるから肉おくれ」って時代。
きっと「単位」なんて概念ないし・・・
ただ秦は中国統一から、わずか15年。始皇帝の死後4年で滅亡するのです。
え~何があったんや~って感じでしょ!!!
ここからは私見も入れて、始皇帝の出来なかった事、秦滅亡の原因を解説。
組織の運営の難しさ、現代人が学ぶべきこと満載のはず。
・まずは上記の多くの歴史的改革が急激すぎたこと。
まあこれは結果論になるかな。もう少し時間をかけて変えていけば・・・
民衆の支持も得られたかも。
現代でもそうでしょ。急激な変化にアレルギー反応を示す人は一定層いるもの。
・「焚書坑儒」って聞いたことあるかな?
簡単にいうと「言論思想弾圧」ってこと。
これは不満でるよね。自分的には始皇帝最大の愚策と思ってます。
今、日本でやったら旗を振った政治家は落選確定でしょ。
まぁ中国は今でも選挙ないし、「中国共産党」の下で「言論も思想も弾圧しまくり」ですがね。
歴史から学ばないと亡ぶよって習近平に言いたいね。
・過酷な労働
これはよくある話でね。何か建造物作るって時は今なら大工さんやろけど、昔は民衆なの。
もちろん本業(大半が農家)やりながらよ。
昔の農業は機械ないし、虫や獣来るし、天気予報ないし・・・激務っすよ。
そんな中、始皇帝は「阿房宮(あぼうきゅう)」や「驪山陵(りざんりょう)」といったスーパー
豪華な建造物を作り、民衆を酷使したの。
これも不満たまるよね。
強大な権力で押さえつけれてる間はよいけど、弱味を見せるとやられるね。
・その秦国の最大の弱味であり、始皇帝の最大の抜け漏れが
「後継者育成」!!!
上記のようなこと重ねても、始皇帝の存命中はその威厳で統制できたものが・・・
始皇帝亡き後、後継者がアホ過ぎて滅亡。
ここでは詳細は割愛するけど・・・知りたい人は調べてみて。2世の無能っぷり。
全ての組織において後継者育成は最重要課題でしょ。
そして秦滅亡後、漢(かん)という国を興すのが劉邦(りゅうほう)
何と!!!農民出身!!!
この時代でもありえない大出世。
でも、今回はここまで。次回、漢帝国。
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