スポンサーリンク

ヨーロッパ史⑤ ハプスブルク家等

歴史認識
スポンサーリンク

目次

 ハプスブルク家

ヨーロッパの歴史の流れを掴む中で1つの家系を説明するのはどうかと悩んだけど、この家はいると判断した(#^.^#)

ハプスブルク家が世に出たのは1273年にルドルフ1世が神聖ローマ皇帝に選出されてから。

選出???と思ったかな!!

そうなん。神聖ローマ帝国の皇帝は選挙王制っていって世襲じゃない。

レアケースかというとそうでもないんさな。

神聖ローマ帝国の他にもポーランド、チェコ、ハンガリーで行われてた。

ハプスブルク家はルドルフ1世が神聖ローマ皇帝になってから、オーストリアのウィーンを本拠として、中世ヨーロッパにおいて神聖ローマ帝国、オーストリア、ネーデルランド、ブルゴーニュ、スペイン、ボヘミア、ハンガリー等の広大な領土を支配地とした家系。

家系としては13世紀~20世紀初頭まで続き、1438年以降は神聖ローマ皇帝の地位を帝国滅亡の1806年までほぼ独占。

有名どころとしてはスペインの最盛期「太陽の沈まぬ帝国」といわれた時期のフェリペ2世とか、フランス革命時のフランス王妃であるマリー・アントワネット等!!!

現在のヨーロッパの国はハプスブルク家から徐々に独立して、現在の形になっていった国が多いかな。

メインの国の独立は都度解説するね。

 近世ヨーロッパ

 大航海時代

前回に説明したレコンキスタ完了後のイベリア半島のポルトガルとスペインは大航海時代へと突入するんさな。

少し遅れてイギリスやフランスもヨーロッパから抜け出してインドやアメリカ大陸に出て植民地争いを繰り広げることになるけど、ヨーロッパ以外のエリアは基本的には解説なし。

有名どころはコロンブス、マゼラン、バスコ・ダ・ガマといったところかな。

1つだけ雑学を言うなら、まずポルトガルがヨーロッパからアフリカ経由でのインド航路を確立するけど。スペインがそのルートで行こうとするとポルトガルは邪魔するんさな。

そこで紀元前からピタゴラスやアリストテレスって学者達が言ってた地球球体説を実証すべく、スペインは逆回りでインドを目指すんさ。

で、インド目指してたまたま発見したのがアメリカ大陸。

まあ、ヨーロッパの流れにはそれほど関係ないので、これくらいで(^o^)丿

 ルネサンス

イタリア地方でのルネサンスも少しだけ。

フランク王国が分裂してからイタリア地方は統一国家ができていない。

その代わり都市国家が自治権をもって発展してく。

今のイタリアの有名な都市は殆どこの時に発展していく。
フィレンツェ、ヴェネツィア、ジェノバ、ミラノ等。

発展の要因は十字軍の時にも言ったけど、十字軍の活発による東方との貿易なんさな。

で、東方から東ローマ帝国やイスラム圏の文化が入るようになったことと芸術に投資できる豊さを手に入れたことで、文芸復興(ルネサンス)ができる土台が揃う。

さて「復興」とは・・・

中世までのヨーロッパはキリスト教中心。神様中心の文化。

これをキリスト教普及前の古代ギリシャや古代ローマの文化を復興させようってのがルネサンス!!!

 宗教改革

ルター、カルヴァンの宗教改革も軽~くね

ヨーロッパ史の流れを理解する中ではキリスト教は少し詳しくやってきたし、世界史の教科書では重要分野やけど、軽くでよいと判断(-.-)

ローマ・カトリック教会を批判する者が、同じローマ・カトリックの中から出てきたって話。

まあ今までもあったんやけどね。内部批判は・・・

でも大きな事件とかになったんはローマ・カトリック教皇 VS 皇帝、国王やったでしょ。

で、ローマ・カトリック教会に異議を唱えたルターとカルヴァンが新しいキリスト教のプロテスタントを作って、信仰を巡る対立で戦争して、最終的に認められる(^o^)丿

ちなみにルター派とカルヴァン派は少し違うけど、プロテスタントという大枠では一緒ね。

 ヨーロッパの主権国家への道

主権国家とは、主権・領土・国民の三要素を持った近代の国家形態。

概念の問題なんでここの解説は難しい・・・

百年戦争の解説で国民国家への道が開かれたことは言うたけど、ヨーロッパにおいて「国民」と「領土」の概念から「主権」という概念が成長するのに前にプチ解説した

「大航海時代」「ルネサンス」「宗教改革」の果たした役割は非常に大きい。

この3つはほぼ同時代に起こってて、ヨーロッパの人々の概念を少しずつ変えていった。

現在を生きる自分達に近い概念。

国には領土があり、国民がいて主権者がいる。

残念ながら国民主権が当然という概念はまだ先。この時は皇帝や国王が一般的と言えるかな。

 「東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の滅亡」

百年戦争が終わった年、1453年に東ローマ帝国はオスマン帝国によって滅ぼされる。

オスマン帝国は現在のトルコ共和国、イスラム教の国。

衰退と滅亡の経緯は割愛。

最後にコンスタンティノープルが陥落しての滅亡となる。

以後コンスタンティノープルはイスタンブールと名前を変えてトルコ人によるイスラム教の町になる。

ヨーロッパ史において東ローマ帝国の滅亡は重要な意義があるかな。

まずヨーロッパ史の解説はローマ帝国になる前の共和制ローマから始めようと決めた。

色んな意見はあると思うけど、古代ローマは現在のヨーロッパの源と思ってる。

その2000年以上の歴史がこの時に終わってる。

ヨーロッパの国々にもこの出来事は衝撃やと思うし、色々な影響もあった・・・

大きいのはオスマン帝国にアジアへの交易ルートを抑えられたこと。

これはアフリカ経由のアジアルートや大西洋ルートを確立した大航海時代誕生の一役かと。

もう一つはコンスタンティノープルの有識者は西へ亡命。
そりゃイスラム圏にはおれないしね。

イタリアに多く集まり、ギリシャやローマの古典文化が広く伝わることに貢献。
これはルネサンスの発展の一役でしょ。

さて、次回から絶対王政以降のヨーロッパへ

コメント

タイトルとURLをコピーしました